六次元講義(24) ある春の日の奇跡大学八年もなんのその、GWにはまた熊野に田植えに出掛けた女の子がいたが、昔は田植えといえば梅雨時のことだった。六月には雨降る中、腰を曲げて苗を植えているおじさんおばさんの姿がそこかしこに見られた。今はほとんどの所が五月中に植えている。気候が変わってきたからというのもあるのかもしれないが、半農の人達が多くなったせいでそうなった所も多く、水をなんなく供給できるようになったせいで、そういうことが可能になって来たのだろう。講義にでかけた日にそう教えられた。先生の田んぼでは毎年GWの頃に田植えをされるが、GWには皆がいて、弟子達も手伝ってくれ、要は人手のある時に植えなければならない、んだそうだ。そうなのだ。先生は、田んぼで何かの折り、なくされた鎌のことを話された。 田植えをしようと田んぼに水を張っておったが、朝見まわっているとある所に棒が立ててあったんじゃー。 皆に聞いて廻ってもそこに棒など立てた者は誰もおらんのじゃ。なんの意味もないしな。 ところが急に頭にぴんと来るものがあっての。そこを手探りで掘ってみたら、そこから鎌が出て来たんじゃ。知らずに踏んだり触ったりしたら危ないからのう。しかし、誰がそこに棒を立てたかは分らんのじゃ。 それで今度は庭の竹じゃ。竹を切ってそこに山積みにしておったんじゃが、そろそろ生徒達も来る時期になったし片付けんならん思うて出てみると跡形もないんじゃー。それで誰彼に聞いても誰も片付けた者はおらんしおかしいことじゃった。不思議に思うたのは庭に笹の葉が落ちとらんのじゃ。ああいうものは枯れてはっぱがいっぱい落ちるじゃろ?それが全然落ちとらんで綺麗にないんじゃ。 それで先生は、その日の講義が終わり皆で夕飯をいただくより前の歓談の時間を霊界通信にあてられたということがあった。 棒を立てられたのはユウメイ上人で、それはやはり田植えのこの時期、危険な鎌のことなので教えようと思ったのだが、いかんせん鎌を拾いあげることが出来ず、そこにあった棒を渾身の力?をふりしぼって立てたのだとか。 また竹を山本の山まで運んだのも自分だとか。山本があんまり忙しそうなので気の毒に思って手伝ったのだとか、傍で見ているとそういう話をされていた。 その様は、先生の一人芝居のようにも見え、本当に霊界通信のようにも見えたが、あのいつも誰よりもお元気な先生が、いつになく疲弊されていたことだけは事実で、通信が終わるとKさんたちは顔の真っ赤に焼けたような先生の体を支えながら静かに寝かせられた。 昔は霊を呼び出されたこともあって、それは非常に気味悪く、震え上がるほど恐かったと、草津のご夫婦が言っておられたことがあったが、私がそういう場に立ち会ったのははじめてだったから、Kさん達に「大丈夫なんですか?」と思わず尋ねたのだったが、「大丈夫です」とKさんは笑って答えられた。 私は『子桜姫物語』以外は、スウェーデンボルグのだろうがケーシーのだろうが、霊界通信に興味はないが、そういえば・・・亀井霊媒がおられた頃、日本のあちらこちらにはまだ大変な能力者達がおられてよく出掛けた。あの頃が一番楽しかったな~と、先生が述懐されていたことを思い出した。 先生も能力者だから、やっぱりああいう事には興味津々惹かれたのだろう。 私・・・ああいうのは好きではないけれども、車が塀を飛んだとか、口から真珠がぽろぽろ出てきたとかいう場面に遭遇したら、やっぱりずいぶん楽しくなって、ついおっかけてしまうかもしれない・・・ですね。 |